エイズ予防指針って、そもそも何?

使えるツールとして生かすために

ジャーナリスト 宮田 一雄

 わが国のエイズ対策の基本となる『後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針』(エイズ予防指針)が2018年1月18日に改正されました。6年ぶりです…と言っても、えっ、なにそれ? と思う方が多いかもしれませんね。エイズ対策に多少は関係がある人の間でも、認知度はそれほど高くなさそうです。私もその一人であることを自覚しつつ調べてみました。

「横ばい」をどうとらえるか

 厚生労働省公式サイトのHIV/エイズ予防対策のページに予防指針の改正概要と改正指針全文(2018年1月18日付厚生労働大臣告示)、各都道府県などへの改正通知が掲載されています。
 改正概要の前文を紹介しましょう。改正の理由に言及しています。

エイズ予防指針改正のポイント

我が国のエイズ動向は、個別施策層を中心に新規HIV感染者・エイズ患者が報告されており、報告数は平成20年をピークに年間約1500件前後で横ばいで推移している。近年の抗HIV療法の進歩は、感染者等の生命予後を改善した一方で、エイズを発症した状態で感染が判明した者の割合が依然として約3割と高い水準となっているなど、早期発見に向けた更なる施策等が必要である。こうした状況を踏まえ、重点的に取り組む新たな対策を中心に、社会全体で総合的なエイズ対策を実施していくため、本指針を改正する。
【概要】後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針の改正(厚生労働省)から

 注目したいのは「社会全体で総合的なエイズ対策」を実施するための指針だという点です。名称は「予防指針」でも予防対策に限定されているわけではありません。
 国内の新規HIV感染者・エイズ患者の年間報告数がこの10年、1500件前後で推移していることも指摘しています。厚労省エイズ動向委員会の年報をもとに2000年以降の報告件数の推移をグラフにしました。

日本における2000年以降の新規HIV感染者・エイズ患者報告数

 2006年まではほぼ右肩上がりですが、2007年に1500件に達した後は1400~1600件の範囲で推移しています。あくまで報告の数字ですが、国際的にみると、わが国の流行は際立って低く抑えられています。報告レベルでこうした状態が10年も続いてきたということは実際の感染もそれなりに抑えられてきたとみていいでしょう。
 20世紀末から21世紀初めにかけて、国内でもHIV感染のアウトブレーク(急拡大)が起こりかけたけれど、21世紀の最初の10年間で何とか歯止めをかけ、報告レベルでの横ばいを維持してきた。個人的な感想で恐縮ですが、私は現状をそう受け止めています。つまり、対策としてはかなり健闘してきた面もあります。それでも流行を縮小に転じるには至っていません。
 視点を変えれば、医学の進歩で予防の選択肢はこの10年、大きく増えたのに、それでも報告件数の横ばいが続いているということは、医学研究の成果が実際の対策に十分、生かしきれていないということにもなります。
 いまは横ばいでも、その先に踏み込めない。これまでの対策をこれまで通りに続けているだけでは、再び拡大へと転じかねないのではないか。現状はそんな微妙な分岐点にありそうです。少なくとも、これまでの成果を何とか支えてきた対策ですら「横ばいなら、もうそろそろいんじゃね?」などと言ってやめてしまう。そんな手抜きが許される状態ではありません。

3度目の改正

 少し時間をさかのぼりましょう。現在の感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)は伝染病予防法、性病予防法、エイズ予防法の3法を廃止・統合して1999年4月に施行されました。その感染症法のもとで、同じ年の10月に告示されたのがエイズ予防指針です。
 廃止3法が「予防法」だったのに対し、患者の治療やケアの提供にも目配りをしなければ感染症には対応できませんよという考え方が、新しい法律で打ち出されました。当然と言えば当然なのですが、感染症対策はここで重要な進化を遂げています。
 ただし、エイズ対策の実務的な観点からすると、エイズ予防法にかわって対策を進めるための新たな根拠が必要でした。その根拠が厚生大臣告示(当時)のエイズ予防指針であり、同じように性病予防法の廃止に伴う性感染症予防指針も作られています。
 感染症の流行は流動的であり、対策もまた研究の成果や流行の動向を反映して変化します。このためエイズ予防指針は、ほぼ5年をめどに見直すよう定められており、これまでに3回、改正されています。
 指針の改正時には毎回、HIV/エイズ対策の様々な分野の関係者で構成する検討組織が編成され、改正の方向性を議論します。2006年の改正では「予防指針見直し検討会」、2012年改正時は「予防指針作業班」、そして今回は「エイズ・性感染症小委員会」が作られました。エイズと性感染症の二つの予防指針を同時に検討したことは今回の特徴の一つですが、結果的にこれまで同様、それぞれが独立した予防指針となりました。

1989年2月 エイズ予防法施行
1996年1月 米国内で多剤併用療法の効果を報告
1999年4月 感染症法施行
1999年10月 エイズ予防指針告示(個別施策層)
2000年7月 第13回国際エイズ会議(南アフリカ・ダーバン)
九州沖縄サミット(「感染症対策に新たな追加的資金が必要」)
2001年6月 国連エイズ特別総会 コミットメント宣言(締め切りのついた約束)
2006年4月 エイズ予防指針第1回改正(疾病概念の変化、中核拠点病院)
2006年6月 国連エイズ対策レビュー総会 政治宣言(ユニバーサルアクセス)
2011年6月 国連エイズ特別総会ハイレベル会合 2011政治宣言
2012年1月 エイズ予防指針第2回改正(診療連携、NGOとの連携)
2016年6月 エイズ終結に関する国連総会ハイレベル会合 2016政治宣言
2030年のエイズ流行終結と90-90-90ターゲット
2018年1月 エイズ予防指針第3回改正

 年表を見ていただきましょう。予防指針の改正にはその当時の国際的なHIV/エイズ対策の動きが反映されています。
 1999年の策定時には、HIV感染の高いリスクにさらされ、対策上特別な配慮を必要とする人たちを「個別施策層」と位置付けました。国際的には現在、「キーポピュレーション(対策の鍵となる人びと)」と呼ばれている人口集団とほぼ重なります。
 2006年の第1回改正は《「不治の特別な病」→「コントロール可能な一般的病」へ》という『疾病概念の変化』を強調しています。
 今年1月に内閣府が行った調査では、回答者(1671人)の52.1%がエイズは『死に至る病である』と思っています。12年も前に「疾病概念の変化」が指摘され、「不治の特別な病」ではないと強調しているのに、いまなおその「変化」を社会が共有できていない。このギャップは、依然として大きな課題です。
 第2回改正では「連携」が強調されました。診療連携はエイズ拠点病院と他の様々な診療科の病院や診療所との連携です。在宅介護も視野に入ります。
 抗レトロウイルス治療を続けていれば、HIV感染は「死に至る病」ではなく、HIV陽性者は長く社会生活を続けていける。このことはHIVに感染して生きる人たちが進学や恋愛や就労や老後の生活設計といった様々な生活課題に直面する機会が増えることでもあります。HIVに関連する以外の病気でお医者さんに診てもらうことも以前より多くなります。HIV治療を担うエイズ拠点病院と地域の医療機関が連携してHIV感染の有無にかかわりなく、必要な治療を最も利便性の高い医療機関で受けられる状態を無理なく実現していくのが、エイズ拠点病院と他の医療機関との診療連携です。
 一方で、HIVに感染した人が安心して社会生活を続けていくための支援は、医療機関だけでは担いきれません。NGO/NPOと行政機関が協力し、医療機関とも連携していく必要があります。9章に及ぶ第2回改正指針がすべての章で「NGOとの連携」に言及したのは、治療の進歩と普及に伴うそうしたニーズが強く感じられていたからでしょう。

改正指針のポイント4項目

 それでは第3回改正の重点は何か。改正概要では前文の後で、改正ポイントとして「効果的な普及啓発」「発生動向調査の強化」「保健所等・医療機関での検査拡大」「予後改善に伴う新たな課題へ対応するための医療の提供」の4項目があげられています。平たく表現すればこんな感じになります。

  • 啓発に力を入れ、HIV/エイズにまつわる差別や誤解をなくしていく。
  • 流行の現状をより正確に把握する。
  • 感染している人が治療を受けられるようHIV検査の利便性を高める。
  • 感染を知った人が安心して治療を受け、社会生活を続けられる基盤を整える。

 さらに圧縮すると「理解・調査・検査・治療」といったところでしょうか。過去2回の改正で、課題の把握とそれに関する議論はかなり積み上げられてきました。新指針も基本的な考え方が大転換しているわけではありません。
 ただし、前回改正から今回に至る6年の間に治療研究が大きく進んだので、その成果を積極的に取り入れようとしている印象はあります。
 たとえば、抗レトロウイルス治療を続けているHIV陽性者は体内のウイルス量が大きく減少し、性行為などで他の人にHIVが感染するリスクも劇的に低下することが報告されています。
 つまり、治療の普及は予防対策にもなるということで『予防としての治療(Treatment as Prevention)』、頭文字をとって『T as P』と呼ばれる考え方は国際的な共通認識となっています。U=U(Undetectable
is Untransmittable)というキャンペーンが展開されているのもそのためです。ウイルス量が検出限界以下(Undetectable)ならHIVは感染しない(Untransmittable)。したがって、HIV陽性者を感染源と見なす発想は改めるべきだという主張ですね。
 これは、だから検査を受けて自らの感染を知り、早く治療を始めようという呼びかけであると同時に、HIV陽性者への偏見や差別に抗議する主張でもあります。どちらを重視するかは、メッセージを発する人の立場によっても、微妙に異なってくるかもしれませんが、キャンペーンにはHIV陽性者支援の組織も医療関係者も加わっています。一方で、HIVに感染していない人が予防目的で抗レトロウイルス薬を定期的に服用していれば感染を高い確率で防げるという研究成果も多く報告されています。こちらは『PrEP(曝露前予防服薬)』と呼ばれ、HIV感染の高いリスクに曝されている人にとっては新たな予防の選択肢の一つになることが期待されています。
 さらに2016年6月にはニューヨークで国連総会ハイレベル会合が開かれ、2030年に「公衆衛生上の脅威としてのエイズ流行終結」を目指すこと、そのために2020年までのHIV/エイズ対策に「高速対応」で臨むことが国際社会の共通目標となりました。この「高速対応」を数値化した目標が「90-90-90ターゲット」です。

  • HIVに感染している人の90%が検査で自らの感染を知り、
  • 感染を知った人の90%が必要な治療を受け、
  • 感染している人が治療を受けられるようHIV検査の利便性を高める。
  • 治療を受けている人の90%は治療継続の結果、体内のHIV量が検出限界以下になる

 この場合、90×90×90=72.9なので、HIV陽性者の73%は性行為などで他の人にHIVが感染するリスクがほぼなくなり、HIV感染の流行は縮小へと向かうことが期待されています。
 「90-90-90」も「T as P」も「PrEP」も、国内における知名度および認知度は決して高くありません。十分な理解が得られないままに現実が先行し、曲解して伝えられることになれば、予防の手段と考えられていたものが逆に感染の拡大要因になってしまう懸念もないとはいえません。したがって、治療や予防に関する新たなコンセプトをきちんと把握して対応しようという姿勢を示したことは、今回の改正の大きな特徴だと思います。

指針をどう使うか

 世界に目を転じると、90-90-90ターゲットはいま、大きな壁に直面しています。抗レトロウイルス治療の普及でエイズによる死者は大きく減少したものの、成人の新規HIV感染は期待したほど減っていないのです。
 UNAIDSのファクトシートによると、2016年のエイズ関連疾病による死者は推計100万人でした。2005年の190万人、2010年の150万人から大きく減少しています。
 一方で2016年の新規HIV感染者数は180万人で、このうち170万人は成人です。2010年の成人感染者数190万人より減ってはいますが、『T as P』や『90-90-90』で喧伝されていたほどではありません。どうも医療だけでは対応できないぞという反省が最近は聞かれます。
 今回の予防指針見直し過程には一つ、大きな懸念がありました。有識者によるエイズ・性感染症小委員会の委員に、HIV陽性者もHIV/エイズの啓発活動や陽性者支援のNPOのメンバーも含まれていなかったのです。4回の会合を傍聴した私には、医療従事者ばかりという印象でした。
 さすがにこれではまずいという反省があったのか、4回の会合のうち2回は、HIV陽性者組織から複数のメンバーが参考人として招かれています。それもプレゼンテーション的な意見の開陳だけでなく、少なくとも出席した会合では委員と同等の発言の資格が保証され、議論に加わっています。それだったら最初から委員に委嘱すればいいのにとも思います。これは次の見直しの際の宿題でしょう。
 今回の指針は医学研究の成果を取り入れつつも、どこか網羅的な印象があり、この点ももう一つの宿題になっています。4項目に集約されたポイントのどの部分を重視するかで、今後の対策の様相もまた大きく異なってくるからです。
 お役所的な言い回しに幻惑されがちですが、指針は行政担当者だけが活用すればいいというものではありません。何が必要なのかを考え、HIV陽性者や支援を担う人たちの現場感覚が対策に生かされるよう、根気よく発言と行動を続ける。そのために網羅的な指針にメリハリをつけ、実際に役立つツールとして使うという宿題はむしろコミュニティにゆだねられているのかもしれません。

宮田 一雄(ジャーナリスト)

産経新聞特別記者を経て、2017年7月からフリーランスのジャーナリストとしてHIV/エイズ総合情報サイト「Community Actionon AIDS(コミュニティアクション)」などで情報発信を続ける。公益財団法人エイズ予防財団理事、特定非営利活動法人エイズ&ソサエティ研究会議事務局長。

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