HIV予防におけるPrEPとは何か

日本のコミュニティへの導入の課題について考える

特定非営利活動法人akta 理事長 岩橋 恒太
PrEPとはPre-Exposure Prophylaxis(曝露前予防内服)の略。
HIV陰性者がHIV感染を予防するために、HIVに曝露する(さらされる)可能性がある前に、抗HIV薬を服用する方法。

最近、MSM(男性とセックスする男性)が利用する出会い系アプリで、日本の利用者も「on PrEP」と書き込んでいるのが散見されるようになった。また、NGOによる日本語でのPrEP紹介(*1)や、PrEPで使用する抗HIV薬の個人輸入先の紹介サイト(*2)も始まった。一方、国立国際医療研究センター・ACCが設置した「SH外来(*3)」でのPrEPの機会提供に関する研究が、日本国内での実証研究として行われている。
しかし、PrEPに用いられる抗HIV薬ツルバダ(注1)は、予防のための使用という適応外使用の承認に向けて手続きが進められているが、未だ承認に至っていない(2019年12月末現在)。そのため多くのPrEP希望者にとって、HIV感染リスクの代わりに、未承認薬を個人輸入して服用するという新たなリスクを個人が負う現状にある。
また、aktaなどのコミュニティセンターやNGOの多くは、まだPrEPの予防啓発を本格的には開始していない。
日本におけるPrEPの導入の大きな節目を迎えている現在、PrEPとは何かを概覧し、日本のコミュニティに予防施策として導入する際にどのような課題が考えられるのか、特に社会的な側面において整理したい。なお、PrEPはMSM以外の個別施策層にとっても重要な予防施策だが、紙幅の制約により、ここではMSMに関わる話題に限定する。

PrEPとは何か

以下では、英国HIV教育NGOのAvert(*4)による「PrEPのキーポイント」を参考にし、要点を筆者なりにまとめる。

1.正しく抗HIV薬が服用されれば、PrEPはHIV感染の可能性を限りなくゼロに近づける

[PrEPの正しい方法]

PrEPは、体内でHIVの複写を抑える抗HIV薬の働きによって、コンドームなしのセックスなどHIVに曝露する機会があっても、感染の成立を予防できるというもの。従来、抗HIV薬はHIV感染症の治療に用いられてきたものである。
PrEPの服薬方法は主に2つ。1つは「daily」で、毎日1回1錠を継続して服用する方法である。もう1つは「on demand」で、セックスの前後をはさみ、複数回に分けて2錠、1錠、1錠と服用する方法(図1)。

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この方法はセックスをするタイミングに服薬を限定することができるが、スケジュール通りに行うことがより重要となる。後者は現時点でMSMにのみ推奨されている。

[医療機関で定期検査・診察]

PrEPの開始前、そして開始後には3ヶ月毎の検査・診察が必要である。PrEPの服薬方法ではHIV治療としては不十分であるた
め、HIVに感染している場合に薬剤耐性ができる可能性がある。
そのため、開始前と後に継続してHIV感染の有無を検査することが不可欠だ。また、ツルバダの副作用で腎機能が低下する可能性や、B型肝炎に感染している場合の注意の必要性から、腎機能や肝炎の検査も必要である。そして、PrEPはあくまでHIVの予防方法のため、他の性感染症の検査は継続して必要となる。

[どのような人がPrEPの対象か]

すべてのMSMがPrEPを推奨されている訳ではなく、HIVの感染リスクが高い人にのみ推奨される。
例えば、ACCのSH外来ではMSMのうち推奨される対象として、下記のように示している。

  1. パートナーがHIVに感染しているが適切な治療を受けていない
  2. 最近に性感染症にかかった
  3. セックスをする相手が多い
  4. コンドームを使わないことがある
  5. 風俗で働いている

また、PrEP適応条件としては、以下の事項が挙げられている。

  1. HIV非感染者、
  2. HIV感染のリスクがある
  3. 成人
  4. 腎臓の機能に異常がない

WHOは2015年に、PrEPの施策をHIV感染の重大なリスクに直面する人々に「コンビネーション予防(図2)」の一つとして提供
されるべきであると拡大的に定義し直した。導入の目安となる指標を、その集団で3人以上(100人を1年間観察した場合)の罹患率としている。日本でも大都市部のMSMでの動向を考えると、PrEP導入の検討が必要だろう。

[研究が実証している予防効果]

これまでに、iPrEx研究に端を発し、IPERGAY、PROUDなど、MSMを対象としたPrEPの国際的な実証研究が行われてきた。それらの研究では、コンドームを使用しないセックスにおいて90%以上の予防効果を示した。この数字には服薬率が非常に低いケースも含まれていたため、正しく服薬を維持したケースに絞った場合の予防効果はずっと高く、ほぼ100%と考えられている。
そのため、HIV予防の取りうる選択肢が限られる人や、コンドームが使用できない/したくない人にとって、PrEPこそがHIVへの感染リスクを「主体的にコントロールできるもの」と考えられるようになった。さらに、公衆衛生の視点でも、HIV感染の新規発生の抑制が可能になると考えられるため、HIV予防の「ゲーム・チェンジャー」としてPrEPへの関心が高まっている。

2.PrEPはハイリスクにある人々からの要求も高まっているが、そのカバー範囲は未だ限定的である

2016年国連ハイレベル会合における「HIVとエイズに関する政治宣言」では、2020年までに、HIV感染率が高い国で感染のリスクにさらされている人の90%に検査・治療・予防の一貫したサービスが届くようにすること、PrEPについては、高い感染リスクにある300万人が受けられるようにすることとした。
2018年の報告では、PrEPの経験者は世界で38万人に過ぎないと推計され、その大半は北米大陸(59%)とアフリカ(27%)で、アジアやヨーロッパでは限定的だった。2019年末時点では、世界50ヵ国以上でPrEPが提供されているが、東アジアでは台湾と韓国で承認されたものの、日本や中国では未だ研究ベースでの限定的な取り組みに留まっている。
また承認されていても、必要としている人がPrEPにアクセスできない現状もある。例えば、研究の枠組みのためアクセスできる人数に制限があったり、PrEPに関する国の政策やガイドラインが定まらないため医師が処方することに抵抗を感じることもある。こうしたことにより、PrEP希望者がオンラインで薬を購入するしかなく、それができな
い人たちはPrEPにアクセスできない。また、ジェネリックの選択肢はあるが、薬や検査の費用の自己負担も大きな課題である。
誰が最もPrEPを必要とし、公衆衛生の視点でも予防効果が得られるのかという点と、誰がアクセスできるのかという点に、重大な相違がみられているのが世界的な現状といわれている。PrEPの社会実装と規模の拡大には、現在も多くの課題がある。

3.PrEPはHIV以外の性感染症を予防できない。あくまでも包括的施策の一つであるべき

PrEPはHIVの予防方法であり、梅毒、肝炎、淋病といった他の感染症の予防にはならない。ここで懸念されることが、PrEPの導入がコンドーム使用の減少を招き、他の性感染症を拡大するのではないかという点である。性感染症の感染リスク行動をとる人たちにとってPrEPはHIVの重要な予防方法になるが、他の性感染症を考えれば、引き続きコンドーム使用が重要である。
PROUD研究では、PrEP使用者と不使用者の間でコンドーム使用や性感染症の罹患の有意差はみられず、その後PrEP使用者での性感染症の罹患が比較的高い傾向を観察した研究があったものの、明確なエビデンスはまだない。PrEPによる他の性感染
症への影響は、今後も動向を注視する必要がある。
一方で、PrEPとともに性感染症の検査・治療アクセスが整備されうることは重要な点である。PrEPは本来、定期的な性感染症の検査・治療とセットで行われるものであり、セーファーセックスや依存など隣接分野に関する相談や、コンドームやローションといった予防ツールなど、地域における性の健康の包括的サービスを提供する機会となりうる。この意味において、PrEPは「コンビネーション予防」の重要な構成要素といえる。
例えば、サンフランシスコのゲイエリアにあるセクシュアルヘルス・クリニックによる正しい服薬を継続するための支援の取り組みや、オンラインでPrEPにアクセスする人たちに情報提供などの支援をしているロンドンでの取り組みなど、PrEPを軸とした包括的サービスの導入事例は非常に参考になるだろう。オーストラリア、台湾、タイなどの取り組みにも注目したい。

4.正しく服薬されないと予防効果は急激に減少する。服薬の阻害要因を改善することが成功のカギ

PrEPの予防効果を得るためには、規則正しく服薬することが重要である。それができる人とできない人の違いは、PrEPの正しい知識や認知、薬の入手しやすさ、そしてライフスタイルなどに起因するといわれる。また、アフリカの女性を対象とした研究では、虐待や暴力による影響があることが明らかなっている。
そして、スティグマと差別も阻害要因でありうる。PrEPは、ハイリスクなセックスと結びつけて考えられがちである。そのため、HIV、セクシュアルマイノリティ、セックスワーク、薬物使用、そしてコンドームを使用しない行動(コンドーム使用が「責任ある性行動」を連想させるため)と結び付けられたスティグマが、PrEP使用行動自体に付与されうる。
人権を守り、性の健康のリスクを軽減するためにも、社会や地域でのスティグマや差別を終わらせることが重要だが、PrEPの成功においても非常に重要である。

日本でのPrEPの状況と課題

[PrEPはすでに始まっている]

前述のとおり、日本でもMSMのPrEPに対する認知が高まっており、その実態も明らかになりつつある。
2019年の日本エイズ学会学術集会で、SH外来でのPrEPに関する研究報告に注目が集まった。中間報告(~2019年6月)ではあったが、124名がPrEP研究に参加し、服薬の継続率は良好、HIV感染例はなかったと報告された。また、SH外来の受診者のう
ち、ジェネリックを個人輸入している75名のケースも報告された。
ぷれいす東京による、ゲイ向け出会い系アプリを用いた調査(2018年11月実施)によれば、回答者の2.2%が生涯でPrEPを経
験しており、PrEP経験者の薬の入手先はインターネットが65%、国内の医療機関は15%だった。しかし、PrEP経験者のうち定期的な医療機関での検査・診察は「受けていない」が54%だった。一方で、日本でのPrEP導入に高い期待・賛同があることも報告されている。

[未整備な環境と様々な課題]

PrEPを本格的に導入するうえで必要な条件作りも進められている。現在、日本エイズ学会を通じて、ツルバダの適応外承認に向けた取り組みが進められている。承認されると、副作用による健康被害が起こった場合に救済が可能となる。そして、医療機関やNGOが積極的にPrEPを予防方法として提示できるようになる点が大きい。2019年12月に、ツルバダの国内での流通・販売がギリアド・サイエンシズに移管されたこともあり、今後の進捗に注目したい。
ただし、承認が得られたとしても、PrEPに必要な薬と検査の費用には高額な自己負担が必要となるだろう。PrEPを継続する上で必要な、医療機関での継続的な検査・診察ができる見守り環境の整備も不十分だ。東京などの大都市部では、個人輸入でのPrEPの見守りが可能なクリニックが少しずつ増えてきているが、PrEPの本格的な導入が可能な規模にはほど遠い。また、一般に医療機関でのPrEPの認知が低いうえ、受け入れ可能な医療機関の有無の地域差も大きい。そもそも、地域でMSMが定期的にHIV検査を受けるためのキャパシティや選択肢が積極的に整備されていない。
PrEPの見守りをはじめ、MSMの性の健康支援を行う医療機関のさらなる広がりが求められる。

[今後に向けて]

aktaなどのコミュニティセンターやNGOは、今後どのようにPrEPの啓発や普及にコミットしていけるだろうか。
海外の取り組みをレビューすると、日本での導入に際して考えられうる懸念点と共通するものが多く見られた。例えば、コミュニティにおけるヘルスリテラシー(健康に関する情報やサービスを使いこなす力)の格差、高額な自己負担の問題、MSMの性の健康支援を行う医療機関の整備などである。また、新たな予防方法として始められたPrEPを、いかに持続可能な施策とするのか、という課題もある。
まず、PrEPの方法やメカニズムを、正確にわかりやすく伝え続けることが重要だ。そして、それを日本のコミュニティに根差してローカライズする工夫はより必要になるだろう。例えば、「コンドームを使いたくないからPrEPを希望しているのに、なぜコンドームとの併用が推奨されるのか」など、PrEPに関する本音と建前の違いに戸惑うコミュニティからの声にも応答できる啓発方法を提示していく必要がある。そうしたコミュニティに根差した活動のなかでこそ、未だ残るHIVへのスティグマや差別に取り組むことの重要さを見失わずに、歩を進めることができるからだ。
PrEPは地域における連携があって、はじめてコンビネーション予防のキーになりうる。それは、予防とケアの連携、行政や専門家・医療機関とコミュニティの連携、多機関の連携などである。さらに、コンビネーション予防のキーの一つとしてPrEPの施策がどうあるべきかを、コミュニティで討議して声をあげていくことも必要だ。
PrEPを経験している人たちが、国内にすでに少なからずいることが明らかになっている現在、啓発について躊躇している間にもPrEPの認知や使用はさらに進むだろう。ツルバダの適応外承認が、日本のPrEP導入の一つの分水嶺になると考えている。PrEPについて¥コミュニティでさらに本格的な議論を深めていきたい。本稿が、そうした討議のための一資料となれば幸いである。

岩橋 恒太(特定非営利活動法人akta 理事長 )

NPO法人akta理事長。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程(社会学)単位取得退学。本稿の執筆にあたり、水島大輔、金子典代、本間隆之、市川誠一の各先生、aktaメンバーと本誌編集に助言を頂いた。記して感謝したい。

(注1)ツルバダを治療ではなく予防方法として用いることは、現時点では国内未承認。一方、米国FDAは2019年7月に、新たにデシコビのPrEPへの使用を承認。

(*1)NPO法人ぷれいす東京「PrEP in Japan」 https://prep.ptokyo.org/
(*2)カラフル@はーと「PrEP@TOKYO」 https://hiv-prep.tokyo/
(*3)国立国際医療研究センター「Sexual Health(SH)外来」 http://shclinic.ncgm.go.jp/
(*4) Avert : PRE-EXPOSURE PROPHYLAXIS (PREP) FOR HIV PREVENTION.
https://www.avert.org/professionals/hiv-programming/prevention/pre-exposure-prophylaxis

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