HIV陽性者による第38回日本エイズ学会参加レポート
昨年11月に東京で開催された第38回日本エイズ学会には、日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス(JaNP+)で活動する当事者メンバーが各地域から参加しました。
日本エイズ学会には、毎年多くのHIV陽性者が参加しており、当事者の経験・視点を重視したプログラムも多く開催されています。
以下にご紹介するJaNP+メンバーの参加レポートを通じて、ぜひその雰囲気や当事者参画の意義をお伝えできればと思います。
匠(中国地方)
私がエイズ学会を知ったのは、14年前。通院している大学病院のコーディネイターナースから「スカラシップという制度があるから参加してみない?」と紹介されたのがきっかけで、何の予備知識も無いまま参加しました。当時は、知らない医学用語や、アルファベットで表記される薬剤名なども多く「よく分からない」というのが正直な感想でした。地元に戻り抄録片手にレポートを書いたことを思い出します。
その後、陽性者の支援団体やコミュニティセンターの存在を知り、エイズ学会が医療従事者のみならず当事者が自由に参加できることを知り、参加を重ねる中で、多くの陽性者の方々との交流が増えました。
ゲイや性感染の当事者のみならず、血友病の方たちとも繋がることが出来ました。薬害エイズ事件における血友病患者の皆さんの裁判などの戦いを通じて、現在の医療制度・福祉介護が構築されたこと、その中でも大変な思いをしてこられたことを実感しました。 国との和解条件の一つに「感染経路に関係なく福祉・治療を受けられる医療体制」を付け加えてくださったことで、私たちHIVの多くが治療が受けられるようになりました。先人達の思いを継承して行くのが我々の使命だと思っています。
毎年、新薬が登場しています。確か2015年だったと思いますが、一日一錠の抗HIV薬が登場した時は衝撃的でした。毎年アップデートされるエイズ学会では、抗HIV療法の飛躍的な進歩に加え、90-90-90のターゲット、U=U、HIV感染症の予防を目的としたPrPEなどの現状を知ることができ、近年の進歩は凄まじいと感じています。寛解時代が近い将来おとずれる事を信じています。これからもエイズ学会には、参加していきたいと思います。
灰来人(九州地方)
今回の学会では、私は学会初日のシンポジウム1「HIVとともに生きる人はどこまで強くならなければならないのか」のコメンテーターとして参加しました。
そのシンポジウムについても触れたいところですが、今回の学会でもっとも印象に残ったのは、同じく初日に行われた特別シンポジウム1「3つの0の達成のためにオーストラリアのエイズ予防啓発の現在の活動から、日本のこれからの予防啓発を考える」でした。
規模においても、予算においても、資金調達においても、政府との関係性においても、日本とはスケールの違うオーストラリアの状況は衝撃的で、司会者に「同じ地球ではなく、まるで別の惑星での出来事のようだ」と言わせるほど、日本の予防啓発〜HIV陽性者支援の脆弱さを思い知らされるようなセッションでした。
特に予防啓発においては、アメリカ合衆国と同様に1980年代のAIDSの流行初期からゲイ・コミュニティーが声をあげて主導してきたオーストラリアと、まず薬害エイズ被害者が声をあげ、裁判での和解から医療体制が生まれ、そこから派生した形で始まった日本の予防啓発とのスタートラインの違いを強く感じざるを得ませんでした。同時に、歴史の違い、キリスト教をベースにした欧米型の寄付文化の違い、自己主張に関する文化の違いだから仕方がないと言い切れない、悔しさのような、怒りのような、悲しさのような、不思議な感情が生まれました。
現在ではオーストラリア国民よりも、海外からの移民や、ビジネスや留学等の長期滞在者の感染が主になっているとの報告もあり、日本でも増え続けている長期滞在者や移住者への啓発やHIV陽性者のケアも真剣に考えなくてはならない時期に来ているのではないかと思います。来日する人の誰もが日本語はもちろんのこと、英語を話せる訳ではなく、多言語対応のシステムを考えなくてはとも思いました。
衝撃を与えたこの特別シンポジウムは、「HIVに関わるすべてのコミュニティをエンパワー」という今回の学会のテーマに最もふさわしいセッションかもしれないと感じます。自分たちは小さな殻の中に閉じこもってしまっているのではないかと、冷水を浴びせるような、劇薬のような、刺激に満ちたシンポジウムでした。
かみちゃん(四国地方)
久しぶりの学会への参加となりましたが、「POSITIVE TALK 2024」で登壇させていただきました。私自身はこれまでにあからさまな差別等を経験しかことなく、ありのままを伝えようと敢えて原稿を準備しなかったのですが、中途半端な発表となってしまい反省しております。他に登壇された方のスピーチではそれぞれの熱い想いが伝わってくるもので、特に今回はHIV陽性者として人や社会との繋がりを改めて考えるきっかけになりました。
また、期間中は様々なセッションに参加することができました。陽性者の自殺をテーマにしたセッションでは聴講しているだけも心苦しくなりましたが、自殺を考える心理や背景、地域の属性等も分析されたもので、高知在住の私にとっては今後の活動に活かせる内容であったと思います。
TOKYO AIDS WEEKS CHOIRによるミニコンサートでは、設立の背景にも触れていました。ほとんど陽性者で構成されており、これまでにお亡くなりになられた方の想いを感じ、そして陽性者の底力を感じる素晴らしいもので大変感動しました。
セッション以外に関してはSNS等で繋がっていた方から声を掛けていただいたり、以前より交流のある方などと再会したりと、ある程度のコミュニケーションをとり情報交換などすることができました。自分からの声掛けがあまりできず、お会いしたいと思っていた方にも会うことができなかったので、もし、また学会に参加する機会があれば課題にしたいと思います。
全体を通じて、HIVを取り巻く環境の地域格差を痛感しました。都市部ではHIVに関するコミュニティがあり、学びの場があり、そこからの発信が地域の多様性の理解に繋がっていると思います。一方で、中山間地域と呼ばれるような「地方の中の地方」では、ちょっとした噂話でも街中に広がり差別的な扱いを受けるのが現状です。普段生活をする中でHIVに関することに触れることが乏しく、住民は高齢者が多いためではあるのですが、80年代~90年代前半のエイズパニックを見聞きしている人たちの、HIVに対するアップデートがほとんどされていないように感じました。地方での情報発信の重要性を痛感する学会だったと思います。
また、私だけかもしれませんがジェネレーションギャップを感じる学会でもあったと思います。私は2013年に感染告知を受けましたが、認識としては死の病ではありませんでした。むしろ同性愛者として生きていたので、諦めがつく位の感覚だったのを覚えています。私より以前に告知を受けた方が見ていると、感染告知の段階で多大なご苦労をされているように思いました。先人達のご苦労があり、今に繋がっているので感謝の気持ちを忘れず、今後もHIVに向き合っていきたいと思います。
勝水 健吾(中部地方)
この度、およそ10年ぶりにHIV陽性者の当事者として、日本エイズ学会学術集会に参加させていただきました。今回の大きな目的は「POSITIVE TALK 2024」への登壇ではありましたが、3日間、できる限り多くのセッションに参加し情報収集するとともに、積極的に質問をさせていただきました。
今回の学術集会で、テーマとして多く取り扱われていたのが「慢性疾患としてのHIV感染症」であり、私たちHIV陽性者も、いよいよ長期療養時代に入ったのだと実感しました。事実、私も陽性告知を受けてから20年以上が経過し、年齢も五十路になり、今後の人生がどの様になり、また、人生の締めくくりについて、否が応でも身に迫り、考えさせられているところではあります。
ただ一方で、HIVをとりまく様々な業種・立場の方々が、昔と変わらない熱量をもって取り組んでおられる姿を拝見することができ、心から勇気づけられる思いでいました。そして、改めて、いちHIV陽性者として何ができるのか…この学術集会の期間中、ずっと考えておりました。
正直、私個人ができることには限りがあることは事実です。しかし、「できないことが何も無いわけではない」とも感じております。答えはまだ、見つかっていません。しかし、本学術集会に参加し、そのヒントが得られたと思っており、これからジックリそれを吟味し、体現していきたいと考えております。